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松江家庭裁判所西郷支部 昭和33年(家)32号 審判

申立人 佐勝玲子(仮名) 外一名

相手方 ○○町長

小林通夫(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

申立人等代理人は

相手方は周吉郡○○町役場保管中の(一)周吉郡○○町大字○字○○九番地戸籍筆頭者高田和博の戸籍(除籍簿)中同人に関する身分事項欄へ「大正六年二月十二日玲子と婚姻届出、昭和十二年一月二十六日受附」、右戸籍中あらたに右和博の妻の欄を設け、その続柄欄に「妻」氏名欄に「佐藤一郎、キク三女」「玲子」「明治二十三年二月○○日出生」事項欄に「大正六年二月十二日栃木県都賀郡○○村大字○○○千○百○番地戸主佐藤一郎三女婚姻届出、昭和十二年一月二十六日受附入籍」、(二)周吉郡○○町大字○字○○九番地戸籍筆頭者高田照一の戸籍中、同人の父母及び続柄欄に「父高田和博、母玲子、長男」事項欄に「父母の婚姻に因り昭和十二年一月二十六日嫡出子たる身分を取得」との趣旨を各記載し以て遺漏されたる右戸籍の記載を補正せよ。との審判を求め、その理由として次のとおり申述した。

一、高田和博は東大法学部を卒業後高等文官試験に合格し、永らく郡長、県学務部長等の要職にあつたが、健康を害して退官するに及んで東京に居住することになり、同地で晩年の病気保養につとめたが、昭和一二年一月二二日五三歳で死亡した。申立人佐藤玲子は栃木県の素封家佐藤一郎の三女として生れ、大正六年二月一二日松川正治博士の媒酌で東京日比谷大神宮において和博と盛大な婚姻の式を挙げ、爾来和博の死亡に至るまで和博とともに二十有余年の久しきにわたり常に同棲し、その間長男である申立人照一が出生したが、和博自ら「照久」と命名したのである。(照一というのは後に改名したもの)。さような次第で、申立人玲子は婚姻届など夢想だにせず、この点についてはむしろ関心を払わなかつた。

二、ところが、和博は病勢漸く悪化した昭和一二年一月一五日頃、玲子に対し突然婚姻届を提出していない事実を告白するとともに深くわび、すみやかにこれを作成して和博の本籍地役場に送るよう申出た。そこで玲子は当時滞京中の林茂に依頼して婚姻届を作成せしめ、和博及び玲子各本人において署名押印し、取急いでこれを和博の本籍地である島根県○○郡○○村の役場にあてて発送した。

三、その後和博の病状は悪化するのみで遂に前記のとおり昭和一二年一月二二日死亡したが、死亡届もその頃本籍地役場へ発送された。そこで特別の支障なき限り右婚姻届と死亡届は当然相前後して同役場において受理された筈である。

しかるに申立人らは昭和一四年二月頃必要により戸籍謄本をみるに及んで、はじめて右死亡届に基く戸籍の記載はあるが、右婚姻届に基く戸籍の記載は全くないことが判明したので、その頃本籍地役場の当該吏員にその事由を質したところ、婚姻届は当時村役場に到着し一応受理したには違いないけれども、何か不備の点があつて返送したのにその後補正された届書の送付がないのでやむなく死亡届に基く戸籍の記載をしてしまつたということであつた。しかし、申立人らは本籍地役場から婚姻届の返送をうけた事実はない。よつて相手方に対し一たん受理された右婚姻届に基く戸籍の記載を求めるのやむなきに至つたのである。

思うに、申立人玲子と和博とが知名人の媒酌の下に盛大な華燭の典を挙げ、事実上の結婚をなして二十余年にわたり同棲し協力扶助し合つたことは、郷里の人達はもとより両名の近親知己にとつて周知の事実であつた。しかるに和博の過失怠慢のためとはいえ良家の娘として成人した玲子は法律上内縁の妻たるにとどまり、照一はいわゆる私生子として生きて行かねばならないことは到底堪え難いところである。

四、照一及び和博の本籍地は従来の島根県○○郡○○村に属し、○○村長において管下の戸籍事務を管掌し来つたが、昭和二九年七月一日に同郡○○村及び○村とともに旧○○町と合併、現在の○○町が新たに生れた。そこで右三村の戸籍事務、戸籍簿は継承され、爾来相手方が申立人らの戸籍事務を管掌するに至つたものである。なお和博の旧名は健市で昭和七年三月二八日に名の変更をし、申立人照一の旧名は照久で昭和二七年七月頃名の変更をなしたものである。

相手方は、申立人らのいう婚姻届が適法に受理されているかどうかは不明である旨意見を申述した。

よつて按ずるに、申立人佐藤玲子、同高田照一本人及び入江広一、林茂、高田光三の各審問の結果並びに高田和博佐藤貞明の各除籍謄本、高田照一の戸籍謄本の各記載を総合すれば

(一)  高田和博は島根県○○郡の出身で東大法学部を卒業後内務省地方官として各地を歴任することになつたが、大正六年二月一二日松川正治博士の媒酌の下に東京において申立人佐藤玲子と婚姻の式典を挙げ爾来二十有余年にわたつて玲子と同棲し、その間大正一一年三月○○日朝鮮において男児照久が出産したところ、婚姻の届出未了のため、右照久は申立人佐藤玲子の私生子男として出生届がなされている事実

(二)  和博は地方官として朝鮮のほか沖繩、広島県、愛知県等の各地で勤務したが、やがて健康を害したので退官し、東京で晩年の静養をすることになつた。ところが、病勢漸く悪化した昭和一二年一月一五日頃東京○○○町の自宅において、和博は突然申立人玲子に対し婚姻の届出をしていない旨を告白するとともにすみやかにこれを作成して和博の本籍地に送付したいと申出た。そこで申立人玲子は事の意外におどろき和博の同郷人で在京中の林茂に相談した上、和博及び玲子の署名押印を了した婚姻届が作成せられその頃茂の手を経て和博の本籍地島根県○○郡○○村の役場あてに右婚姻届が郵送せられた事実

(三)  右婚姻届は昭和一二年一月二〇日頃前記○○村役場に到達したところ、成年の証人二名の署名が必要であるのに一名しか署名していなかつた為、同役場の村長代理をしていた直井武夫助役はそのまま受理することはできないと考え、証人一名の署名をできるだけ速やかに補正せしめるべく、○○村大字○に在住する、和博の親族恐らく実弟のもとに右婚姻届を交付し右補正を依頼した事実

(四)  和博は前記婚姻届を送付した後間もなく同月二二日午後零時一〇分東京市○区○○○町○○番地の自宅において病のため死亡し、同市において同居者高田桂子が死亡届を提出、右届は数日後和博の本籍地役場に送付せられるとともにその戸籍に記載せられたけれども和博が加藤玲子と婚姻した旨の記載は遂になされないままに了つている事実

(五)  前示照久は和博の死亡に伴いその選定家督相続人となつて高田姓を名乗り、なお昭和二七年七月一四日名を照一と変更する届出をなしたが戸籍においては依然申立人玲子の男として記載せられるに止つている事実

を認めることができる。

思うに、届出の受理は単に届出受領の事実に過ぎない届出の受附(到達)とは区別すべきであつて、婚姻の届出が形式において法定の要件を具備したものとして、いわゆる戸籍吏によりその受領が認容されてはじめて届出の受理があるといえるのである。換言すれば届出がなされてもこの認容の処分がない限り婚姻はその効力を生じないものといわねばならない。そして受理の処分をしたときは、法律により、届書その他の書類及び戸籍に届出受附の年月日を記載せしめ、以て婚姻の効力を生じた時期を明確にしているのである。

ところで、本件において○○村大字○在住の和博の親族が前記のように村長代理から補正を依頼された婚姻届を補正した上村役場に提出したときの事実はこれを認めるに足る証左がなく、また同役場において和博から送付された婚姻届に受附番号、受附年月日を記載し、かつ戸籍受附帳にその旨を記入した事実も亦これを調査するに由がない。

そこで前掲認定の事実によれば、○○村村長代理は、旧民法第七七六条(現行民法第七四〇条に該当し同趣旨である)に従い、婚姻届の記載が不備でありかつ右は民法の明文に違反するものとして受理手続を為さずその補正をまつて受理しようとし、遠距離の東京市へ返送するよりもむしろ管轄区域内である○○村大字○に在住する近親者に補正を依頼した方が適当だと考えてこれを交付したところ、たまたまその頃和博が死亡した関係がわざわいして、婚姻届が補正されないうちに戸籍上死亡の記載が為されるという結果になつたものと推認される。

そうすると、和博と玲子との婚姻の届出は未だ受理されたものとはなし難いので、右届出が受理されたことを前提として、遺漏された戸籍の記載の補正を求める申立は理由なきものといわねばならぬ。

かりに本件申立が婚姻届の不受理処分に対する不服申立を含むものとしてもこれを認容することは困難である。けだし、戸籍吏は婚姻の届出の形式的審査をなす義務を有するとともにこれを以て足るのであつて、形式的要件の不備な届出は補正が了つてから受理するのが建前であると解すべきところ、本件においては法文に違反し、証人一名の署名がなかつた場合に該当し、その補正の為されない限り受理することができないからである。現行戸籍法第四七条は「届出人の生存中に郵送した届書はその死亡後であつても市町村長はこれを受理しなければならない。前項の規定によつて届書が受理されたときは、届出人の死亡の時は、届出人の死亡の時に届出があつたものとみなす」と規定しているが、昭和一二年に施行されていた旧戸籍法には同旨の規定が存在しなかつた。もつともその頃でも司法省の先例に従いかような取扱をすることもあり得たであろうが、その場合においても届書が要件を完備したことあるいは不備なときは補正が完了したときにはじめて問題になるものと解すべきである。

おもうに二十余年にわたつて事実上の婚姻生活を継続した当事者の一人が瀕死の病床から遙かに本籍地役場にあてて婚姻の届出をなすが如き場合は稀有のことに属するのであつて、同役場の戸籍吏においてあらゆる場合を顧慮した万全の措置をとるべきものとなすのはいささか難きを強いるものであり、本件の場合当事者側に落度があると認められることでもあるから、戸籍吏の不受理処分を不当としてその是正を命ずべき性質のものではないといわねばならない。

そうだとすれば本件申立は結局却下を免れないから、主文のとおり審判する。

(家事審判官 西俣信比古)

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